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新しいもの、めずらしいもの、地域限定が大好きな真竜が行ってきましたエジプトに。日本と違う空気の中で、見るもの聞くものめずらしく、そこでしか味わえないものを堪能してきました。これは私が持ち帰ってきたお土産のほんの一部です。 by真竜 | ||||||||||||||||||||||||||||||
内容に関しては 財団法人少林寺拳法連盟 の正式な見解ではありません。 【サイト・オーナーへメール![]() |
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章へジャンプ↓ プロローグ 充実しすぎの8日間 第1日目 第一日目 9月11日(水) 一晩中食べていた? 第2日目 エジプトと言えば! 第3日目 13日(金) ナイル川と夕日と 第4日目 14日(土) ファラオの夢 前編 第4日目 14日(土) ファラオの夢 後編 第5日目 15日(日) 喧騒の街カイロ 前編 第5日目 15日(日) 喧騒の街カイロ 後編 第6日目 16日(月) 青と白の地中海 第7日目 17日(火) カイロで英会話レッスン 第7日目→第8日目 18日(水) インシャーラ!(神様の思し召し) |
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■ プロローグ 充実しすぎの8日間 | ||||||||||||||||||||||||||||||
父と妹と「充実のエジプト8日間」というツアーでエジプトに行ってきました! そもそもエジプトに行くことになったきっかけは、妹が7歳のとき、「大学に合格したらエジプトにつれていく」と父と約束したことにあります。彼女は、そのとき7歳にして契約書を作成し、大事に机の保管していました。お姉ちゃんである私はちゃっかりそれに便乗。 ツアーには20代の学生から70歳を越えるおばあちゃんまで総勢35人が参加してました。夫婦、親子、友達同士、etc…中には私と同年代で同じように夫を日本に残して友達との旅行を楽しんでいる人もいました。仲間だ♪ それにしてもこのツアー、その名のとおり本当に充実したスケジュールでした。エジプトに着くなりものすごい勢いであっちこっちと見て回り、2日目にして、もう1週間もエジプトにいる気分に…。あまりのハードスケジュールに早く日本に帰りたい、と思ったほどです。けれども、後半に行くほど旅は面白くなり、最後には、帰りたくなくなるほどエジプトに魅せられました。 |
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■ 第1日目 9月11日(水) 一晩中食べていた? | ||||||||||||||||||||||||||||||
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■ 第2日目 12日(木) エジプトと言えば! | ||||||||||||||||||||||||||||||
バスでホテルへ。途中、現地スタッフの方々の紹介がありました。今回のツアー全日程を一緒に案内してくれる現地ガイドのサラームさん。アシスタントスタッフのシャリーフさん(後日、大変お世話になります)、バスの運転手さんと、それから警備員さん!カイロではツアー1団体に必ず一人警備員さんがついて観光客を守ります。しかもこの暑さの中、きちんと紺のスーツに身を包み、危険がないか目を光らせていました。背が高くてなかなかハンサムでした。そうそうエジプト人は彫が深くて鼻が高くて女性も男性も整った美しい顔立ちの人が多かったです。アラブ人の顔立ちなんだけれども、より西洋人に近い感じ。(あっ、でも、ナイル川上流と下流では顔立ちが違います。これについてはまた明日に続きます)。 ちなみにご紹介が遅れましたが、日本から一緒に行った添乗員のHさん(日本人)は笑顔が素敵なとてもかわいい方でした。私と同じか少し年下かな。しっかりしていて、頼れるお姉さんという感じ。妹がいろいろと大変お世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。 まずはホテルにチェックイン。ホテルはギザ地区3大ピラミッドのすぐ近くにあります。あいにく私の部屋からは見えませんでしたが、部屋によってはピラミッドが眺めらます。街のすぐそばにピラミッドがあるのにはちょっとビックリしました。ピラミッドは砂漠の真ん中、何にもないところにあるものだと思っていましたので。 そして、ホテルにつくなりレストランでバイキングの朝食。一晩中、機内食を食べていたのにまだ食べるのか…。 午前中、ギザ地区の三大ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカウラー王)とスフィンクス観光。 ピラミッド、巨大。憧れていたピラミッド登頂は、この強い日差しの中、さすがに無謀と断念しました。ここまでこの巨大な石を積み上げた古代エジプト人に感心しました。 (帰国後、ピラミッドの写真を見た夫が言いました。「大きなおにぎり」。確かに…、ピラミッドを形成している一つ一つの石は米粒といったところでしょうか。じゃあ、私たちはおにぎりに群がるアリか?) カフラー王のピラミッドの中に入りました。 天井が低く狭い通路をかがんで歩いていきます。降りて昇って、しばらく行くと、ぽっかり大きな部屋にでました。装飾品もミイラもすでに盗掘されていますので、ガランとした部屋にからっぽの棺。ここに金銀財宝が眠っていたのか・・・。壁には観光客の落書きがありました。心無い人がいるものです。しかし、とにかく暑い。中は蒸し風呂状態でした。 早々に退散。 |
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午後はダハシュールの屈折ピラミッド。赤のピラミッド。サッカラのジュセル王の階段ピラミッドなどを見ました。
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■ 第3日目 13日(金) ナイル川と夕日と | ||||||||||||||||||||||||||||||
この日は午前5時カイロ発のエジプト航空でアブシンベルへ向かうスケジュールです。そのため、午前1時45分にモーニングコール、2時15分にパッケージダウン、その後朝食を食べ、3時にホテルを出発。 昨夜ショーが終わって部屋に戻り、眠ったのが10時すぎでした。その3時間後には朝を迎えたわけです。思いっきり睡眠不足。眠いよ。それに午前2時なんて真っ暗で、朝食じゃないよ。。。早くもバテ気味。 飛行機はほぼ時間通りにアブシンベルに到着。これは非常にラッキーなことらしいです。エジプト人は時間にルーズで、飛行機も1、2時間の遅延はザラにあるそうです。時間通りに運行されないなんて、日本では大変な騒ぎになりますが、こちらではだれもあわてず、何があっても「インシャーラ(神様の思し召し)」。 世界文化遺産にも指定されているアブシンベル神殿を見学。この神殿は本来、アスワン・ハイダム建設後できたナセル湖に沈む運命にありましたが、ユネスコの救済活動によってここに移設され難を逃れました。こんな大きなものをどうやって移設したの?と思ったらいくつものブロックに切って運んだそうです。確かによくみるとつぎはぎが・・・。
大神殿、小神殿共に神殿内のレリーフは必見!ラムセス二世の偉大な功績?(戦争で勝利したとか、奴隷をたくさんつれてきたとか、神に捧げものをしているとかetc)が壁画に描かれています。また、現在はほとんどが剥げていますが、昔は色が塗ってあったそうです。さぞきれいだったのだろうなぁ。
アスワンではアスワン・ハイ・ダムとオベリスクの石切り場を見ました。
この日の宿はホテルニューカタラクト。部屋からナイル川と島々にある遺跡を眺めることができます。すぐ隣のもと宮殿だったホテルオールドカタラクトはアガサ・クリスティの映画「ナイル殺人事件」にも登場するホテルなのだそうです。アスワンはリゾート地としても有名で、プールサイドにはたくさんの西洋人がいました。
夕食前、私たちもファルーカに乗り、ナイル河をクルージングしました。
▲おまけ エジプトのトイレ事情 |
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■ 第4日目 14日(土) ファラオの夢 前編 | ||||||||||||||||||||||||||||||
この日は有名な遺跡が数多くあるルクソールを観光しました。ルクソールはナイル川をはさんで東岸に神殿や町、西岸に王族の墓が集中しています。太陽が東から昇り西に沈むことに由来し、東岸は「生者の都」、西岸は「死者の都」といわれているそうです。
ハトシェプスト女王葬祭殿は崖の中に埋まっているよう。「おおおお!」と、壮観なその景色に感動!!
葬祭殿への参道を歩いていると、見るからに貧しい身なりをした子供たちが自分で作ったであろう人形を持って寄ってきます。人形を売ろうというのです。こちらでは子供たちも一生懸命。 ▲エジプト料理 その2
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■ 第4日目 14日(土) ファラオの夢後編 | ||||||||||||||||||||||||||||||
ルクソール神殿とカルナック神殿はかつて、スフィンクス参道で一直線に結ばれていたそうです。羊の頭をしたスフィンクスの像がずらっと両脇に並んだ石畳の参道。昼間見た壁画の様子(ファラオを先頭に、古代エジプトの人たちが大きな神をかたどったみこしを担ぎ行進していく)を想像したらぞくぞくした。
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■ 第5日目 15日(日) 喧騒の街カイロ 前編 | ||||||||||||||||||||||||||||||
●昼 街に出てみた |
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■ 第5日目 15日(日) 喧騒の街カイロ 後編 | ||||||||||||||||||||||||||||||
●夜 カイロはこれからが活動本番 |
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■ 第6日目 16日(月) 青と白の地中海 | ||||||||||||||||||||||||||||||
この日はカイロからバスで3時間のアレキサンドリアを観光。妹の具合もだいぶよくなったようでしたので、一緒に行きました。 ファロスの灯台跡に建てられたカイトベイの要塞、地下墓地カタコンベ、ポンペイの柱を見て回りました。でもこれまでにみた古代エジプトの遺跡と比べると感動はいま一つ。 移動はバスで都市内の狭い路地を走ります。カフェでチェスをしている人や水タバコをくゆらしている人の姿も。エジプト人は観光客慣れしているのか、手を振ったり挨拶してくれたり。大型観光バスの中からものめずらしそうに眺めている私たちに対して、愛嬌を振りまいてくれます。いや反対にこちらがものめずらしそうに見られているのかも。。。
◆「エジプトへようこそ!」 昼食後、先に戻ったはずのバス運転手がいなくて、炎天下の中、困っていたときに出会ったタクシー運転手さんから。始めはいつもと変わらない客引きだと思って、声をかけられても冷たく無視していたのですが、そのタクシー運転手さんは一緒になってバスをノックしたり、バス運転手を探しまわってくれたりしました。別れ際、「☆△○∴☆○△◇□・・・・」。「アラビア語は分からない」というのに、「いいから繰り返して」とアラビア語を繰り返させられました。海外は日本と違うからと、思いっきり疑いながらもしぶしぶ繰り返す私。しかし、繰り返し終わると「これはアラビア語でエジプトへようこそ!という意味だよ」と言って、とっても素敵な笑顔で握手して去って行きました。このとき、気持ちがふっと和らぎました。
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■ 第7日目 17日(火) カイロで英会話レッスン | ||||||||||||||||||||||||||||||
この日は、13時15分の便でエジプトを出発します。午前中は時間があるので、それぞれ自由に時間を過ごしました。妹はまだ具合が悪そうでしたが「ツタンカーメンの黄金のマスクくらい見ないと」と父につれられてカイロ博物館へ出掛けていきました。私は昨日に続いてホテルを中心に散策しました。
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■ 第7日目→第8日目 18日(水) インシャーラ!(神様の思し召し) | ||||||||||||||||||||||||||||||
本当に充実した8日間でした。最初のうちこそ充実しすぎて目が回りましたが、後半はエジプトの気候にも慣れ、余裕が出てきてとても楽しく過ごすことができました。無事に帰ってこれたことはなによりの幸せです。 妹の具合は日本に帰ってきたらすぐによくなったそうです。お世話になった皆さん、ご心配をおかけしました。ありがとうございました。 また、ツアーでご一緒した同年代の女性3人と帰りの空港で住所を交換し合いました。後日写真を送ってくださった方、メールを送ってくださった方、ありがとうございました!またお会いするときを楽しみにしています! たくさんの出会いが、日常に流され、麻痺しかけていた私の心を癒してくれました。そしてなにより驚いたのは自分の中の執着心が消えていたことです。 この出会い(人・物・出来事すべて)はこれきりかもしれない、だから今この時を大切にしよう、という気持ちで行動していたのでした。一期一会という言葉を心で理解することができたように思います。縁があればまた会える。「インシャーラ(神様の思し召し)」の精神もこれなのかな、と思いました。すごく身も心も軽くなった気がします。これからも感謝の気持ちを忘れず、今を生きていこうと思います。 |
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