教わったことや本に書いてあることの受け売りではなく自らの体験の中で実感・納得できた原理・原則だけをまとめてみました
内容に関しては 財団法人少林寺拳法連盟 の正式な見解ではありません。 【サイト・オーナーへメールサイト・オーナーへメールする    
■ 第1部 第4話
明竜が昔所属していた支部で会報に連載していたエッセイを加筆再掲しました
■ 少林寺拳法を修行すると自然に相手をたてるようになる?

少林寺拳法は二人一組の相対演練が基本のため、
自分が上手くなるには相手にも上手くなってもらわねばならず、
自然と相手をたてることを覚える・・・と言います。

果たして本当でしょうか。

皆さんは、相手の逆小手が掛からないと「俺は手首が柔らかいから」と、『掛からない自慢』をしてみたり、
自分ができない技を相手ができそうになると、何がなんでも掛かるまいと、本来の攻撃の仕方を変化させてまで頑張ったことはありませんか。

実は私はあるんです。妥協をするのは相手に失礼だと自分に言い聞かせて私はよくやってました。
結果相手も技が掛からず、自分も上達せず手首だけ痛めて、挙げ句の果てに「少林寺拳法の技は奥が深い・・・」
二人一組の相対演練がために、相手をたてるどころか、お互いに足を引っ張ってしまいました。

相手をたてるとは本音と建て前の話だったのでしょうか。
それとも私がどこか間違えて認識していたのでしょうか。

まずなぜ、少林寺拳法は相対演練を基本としたのでしょう。
原点に戻ってそこから考えてみましょう。

それは副読本にも書いてあるとおり、
攻防の微妙な駆け引きは単独演練では身に付かないものだからです。

では反対に、この微妙な駆け引きのヒントを攻撃相手からもらえたらどうでしょう。
たとえば剛法なら「今どこを狙っているか」、柔法なら「どちらに崩したら技は掛かるか」、ということです。
相手から「どう反撃したら良いか」という答えをもらうのですから、自分一人で「どう反撃すれば良いだろう。」と悩むより、はるかに効率よく上達することはm一目瞭然でしょう。

しかしそういった本音が言える関係は、根底に信頼関係が不可欠です。
練習時には守者と攻者が存在しますが、少林寺拳法の技術は護身の技術なので主役は常に守者です。
練習の目的は守者の上達にあります。よって攻者は、いかに守者が正しい体感覚をつかめるか、ということに協力しなくてはいけません。
反対に守者は、攻者が協力してくれる関係を常に作っていかなくてはなりません。
また攻者、守者は常に入れ替わりますから、お互いがこれら二つの役割を果たしていくことになります。

ですから私は「少林寺拳法の修行をすると自然と相手をたてることを覚える」というのは、言葉足らずだと思います。
正確には「少林寺拳法の上達には良い人間関係という要素が不可欠で、
良い人間関係をつくれる人でないと上手くはなれない」と言うべきでしょう。