教わったことや本に書いてあることの受け売りではなく自らの体験の中で実感・納得できた原理・原則だけをまとめてみました
内容に関しては 財団法人少林寺拳法連盟 の正式な見解ではありません。 【サイト・オーナーへメールサイト・オーナーへメールする    
■ 第1部 第10話
明竜が昔所属していた支部で会報に連載していたエッセイを加筆再掲しました
■ 法形における正しい攻撃の重要性

今回は、前回に引き続き「教え魔」ネタで話を進めようと思っていましたが、
思いがけず拳士の方からテーマのご要望がありましたので、
「法形における正しい攻撃の重要性」でお話をさせていただきます。

以前、ある少林寺拳法高段者と法形練習したMさんの話を聞いたことがあります。
お互い構えてピタッと止まったところから、Mさんはちょっと遠いと感じて少し間合いを詰めたそうです。
すると、詰めた分相手の高段者は後ろに退がったそうです。
Mさんはまた詰めたそうです。すると高段者はまた退がったそうです。
Mさんはおもしろがってそれを続けていたら、高段者が壁にぶつかってしまったそうです。

また、皆さんの中で、フルコンタクト系の空手経験者と、乱捕りをしたことがある人がいたら、思い出してください。
「いつもより、随分間合いが近い」、と感じなかったでしょうか?
そして、「こんなに近かったら、いつもの法形はできないよ」、と感じなかったでしょうか。

これらは一体何が原因なのでしょう。

少林寺拳法は、戦いの原則を集めたものです。
そして、それらを身につけるために「例題-法形」「応用問題-演武」「試験-乱取」という練習体系があります。

この例題である法形について、教範の「法形の真義とその価値について」の頁で説明があるとおり、
兵法諸式作法は「型」とは言わず「形」を使うと書いてあります。
これは兵法においては、自分一人で動きが決まるのではなく、相手の動きに対応して自分の動きが決まるということを意味しています。
またこの時、いちいち頭の中で考えていると対応が間に合わなくなりますので、俗に言う「体で覚えた」状態で対処すべきです。

そう考えると護身の技術は、相手の攻撃で我の反撃スイッチが入るように、体に覚え込ませるべきであることがわかります。

ここで注意すべき点があります。
特定の刺激に対して、それに対応した反撃スイッチを作るのが護身術の練習だとすると、
前提となる攻撃が、ウソの攻撃であるとウソの刺激に反応するスイッチが作られてしまうということです。

最初の間合いが遠すぎる、体重が乗っていない、タイミングがずれている、
・・・このような攻撃で普段から法形練習をしていると、
いつもより近い間合いからのスタート、まともに喰らったら一撃で倒されそうなパンチ、一挙連撃の連攻撃、ローキックやかかと落としのような普段少林寺拳法で使われない攻撃などには対応できなくなります。
これは法形練習の落とし穴です。

また、教範の「攻防の間合いについて」の中に、次のような記述があります。
「前略〜拳法を行うために必要な基本間合いと云うものはなくてはならないもので、
古来一足一拳の間合いと云うものが出来てきたのである。
〜中略〜守主攻従を建て前とする少林寺拳法に於いては、総じて稍遠間をつくり・・・云々」
そしてその直後に「この場合遠間にすぎると飛び込めなかったり、反撃の脚が届かなかったりするから・・・」
と、遠すぎる間合いについて注意があります。

よく基本間合いの取り方といって正対で向き合って拳を出し合い、そこから片足を引いて最初の間合いをとります。
しかし教範の基本間合いの頁にはそのような間合いの取り方は書いていないどころか、
その場の状況によって異なってくるので「どれだけの距離と規定することは出来ない。」とあります。

「じゃあ一体どうすればいいんだよー バカヤロー」との読者の声が聞こえてきそうですが、答えは簡単です。
皆さんの体が知っているのです。

乱捕りの際、相手に近寄っていくと嫌でも壁を感じて、それ以上前に進めなくなります。この壁が一足一拳の間合いです。
これは少林寺拳法特有のものではなく、すべての人に備わっている危険を感じる能力です。
K1でも空手でも試合中選手達は、ある一定の距離を保っています。あれがあのルールの中での一足一拳の間合いなのです。
ですから少林寺拳法でも守者側から間合いを規定するのではなく、
心を研ぎすまして攻者に対応しさえすれば、自ずと基本間合いがとれます。

改めていいます。
ひとつの刺激に対して作ったスイッチは、ほかの刺激には反応しません。
逆突き一つとってみても、本番と練習時で間合い等の条件に違いがあれば、
普段どんなに一生懸命逆突きを受ける練習をしていても、本番では正しいスイッチが入りません。
よって普段の法形練習も、安全にだけれどもウソの無い状況で行う必要があるのです。

今度は安全について考えてみましょう。
正確な攻撃とはその分守者にとって危険な攻撃になります。
これは当然のことです。
ですから事故を防ぐためにも、攻者守者の両者の協力関係と理解が必要となります。
そのうえ更に十分な防具をつけたり、それでも危ない上段は正確な間合いと正しい重心でややスピードを落とすとか、顔の横にミットを構えてあえて目標をはずす、といった対策をとるべきでしょう。

少林寺拳法は護身の技術です。練習時の主役は守者側です。
しかし、守者が上達する鍵は攻者が握っています。攻者のリードの上手い下手が守者の上達に大きく影響します。

だからこそ、自分が攻者の時は、相手の上達のために最適な環境を造り、自分が守者の時は相手が最大限協力してくれるように、普段から信頼関係を築いておかなければなりません。
これは「半ばは自分の幸せを、半ばは他人の幸せを」の教えとも通じるところです。

拳禅一如とは、拳法の練習と精神修養と両方しなくてはいけないという意味ではなく、
拳法の練習と精神修養は根底が同じだということを言った言葉です。
拡げて考えれば、拳法を真剣に修行すれば、学校や仕事でも応用して役立てられるし、
仕事を一生懸命やれば拳法ももっと早く上達していくということです。

皆さん明日からと言わず今から、練習時には安全かつ正確な攻撃を心がけて、より効率よく上達しましょう。