教わったことや本に書いてあることの受け売りではなく自らの体験の中で実感・納得できた原理・原則だけをまとめてみました
内容に関しては 財団法人少林寺拳法連盟 の正式な見解ではありません。 【サイト・オーナーへメールサイト・オーナーへメールする    
■ 第2部 第6話
明竜が昔所属していた支部で会報に連載していたエッセイを加筆再掲しました
■ 受けに関する一考察 

「技を身につける」という言葉があるように、技を覚えることは一般に何か特殊な能力を身につけるものと認識されているようです。
さて本当に技は身につけるものなのでしょうか。
今回はそこに焦点を絞って考えてみましょうか。

まず「技」とは何でしょう。
ミットをびしびしと叩く「直突」や「振蹴」のことでしょうか、
それとも「内受突」や「上受蹴」などの法形のことでしょうか。
それらを「技」と呼ぶ人も多いでしょうし、それはそれで正しいと思います。
しかし今回はちょっと違ったレベルでの「技」を考えてみます。

一般に「技」と思われているものは、自分の体を動かす技術に関するものが多いようです。
しかし少林寺拳法が護身の技術である以上、本来「技」は相手を不利に自分を有利にする技術であるべきです。
そしてそこには、相手との間合いの問題、布陣の問題、タイミングの問題などが絡んできます。

因みに私は、いくらミットをビシビシ叩けても、単なる「直突」や「振蹴」を「技」とは思っていません。
本当の「技」とは、先程の条件を満たした上で出せる「直突」や「振蹴」のことだと思ってます。

話に出てくる武道の達人は、構えすらとらないという人が多いようです。
もしこれらの話のうち実話が存在するとすれば、その話に出てくる達人は、今言った本当の意味での「技」を身につけていたと思われます。
教範の「体構え」の項でもこれと似たような話は出てきますね。

さてここまで来て、話をテーマに戻します。
「技は身につけるもの?」
技を施すには、先ほどの諸条件を押さえた動きが出来ればよいのですが、
これらはどうも何か特殊な能力を身につけるというよりは、
誰でも出来る普通の動きではあるけれど、諸条件において間違った選択をしなければ良いのでは
・・・という感じがしませんか。

ということは、今の自分の動きの中で、間違った選択をしているところを見つけて取り除いていけば、
技は出来るようになるはずです。

「技」は身につけるものではなく、
今の動きの悪い部分を削り取っていく作業の結果に残った動きのようですね。