教わったことや本に書いてあることの受け売りではなく自らの体験の中で実感・納得できた原理・原則だけをまとめてみました
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■ 第4部 第1話
ロバ耳第4部では学び方と教え方、あるいは練習で学んだことをどう応用するかそんな観点で書いてみたいと思います。全10話(ぐらい)の予定。
■ 悩むのではなく考える?

以前に「たのらん」のコーナーでB先生の事を書いた。僕が大学生だった時に知り合い、当時は週3回、その先生のもとに通っていた。就職してからも毎週土曜日の夕方にはB先生のもとに通って練習を積んでいた。道院を持ったことのないB先生にとってはある意味、僕は数少ない直弟子の一人だったかも知れない。

やがて当時の関東学生連盟の幹部達がそこに加わってきて「土曜倶楽部」という自主練習チームとなっていった。そこから柔法マットや二重防具が開発されたり、攻守に分けての乱捕や「崩し、落とし、はずし」の概念が出てきたのだから、確かにB先生はある意味で切れ者には違いなかったのだろう。

さて、そのB先生から「考えぃ」と耳にタコが出来るぐらい言われた。そして僕は必死になって考えた・・・つもりになっていた。そしてB先生に言われるのだ。「お前のは悩んどるだけや」。でも、正直言ってどう考えたら良いか分かっていなかった。そもそも、悩むと考えとはどう違うのだろう。

単なる言葉遊びに過ぎないのか? しかしどうもそうとは考えにくい現象も起きている。乱捕の結果にあきらかな違いが出るのだ。

その先生の乱捕は危なげなく相手を制するのだが、僕の場合はスピードと勢いで相手を制している感じがするのだ。だからB先生の場合は誰が相手でも勝てそうだが、僕の場合は僕よりスピードと勢いがある相手だったら勝負の行方は分からなくなる気がした。B先生と同じ戦術で戦っているにも関わらずだ。

やっている側の感じとしては、B先生がやる時のようなイキイキ感が出ない。どうも他人の服を着ているような「しっくりしない感」が残った。だから微調整が効かないのだ。それが乱捕の時のやりづらさとなって現れた。そしてこのしっくり来ない感は僕だけではなく、土曜倶楽部に参加するメンバーに共通して言えることだった。

何が違うのだろう。B先生が言う。「あほぅ、考えい」僕が考えると「あほぅ、お前のは悩んどるだけや」とお決まりの言葉が飛んできた。  −つづく