教わったことや本に書いてあることの受け売りではなく自らの体験の中で実感・納得できた原理・原則だけをまとめてみました
内容に関しては 財団法人少林寺拳法連盟 の正式な見解ではありません。 【サイト・オーナーへメールサイト・オーナーへメールする    
■ 第4部 第3話
ロバ耳第4部では学び方と教え方、あるいは練習で学んだことをどう応用するかそんな観点で書いてみたいと思います。全10話(ぐらい)の予定。
■ 第3話 バランスが肝心

少林寺拳法は宗門の行とか、自己確立の道とかいろいろな意味づけがあるが、少なくとも入り口においては習い事だ。習い事である以上、先生や先輩の持っている知識や技術を真似ながら吸収していく作業が重要となる。

基本も出来ていないのにオリジナルに走るのは単なる我流であり、運の良い一部の人を除いて多くのケースでは大成しない。ただ反対に、いつまでたっても先生や先輩に答えを求めているようでもやっぱり使い物にはならない。

たまに見かけるケースで俗に言う「つまみ食い」というのがある。あっちの先生にちょっと教えてもらい、こっちの先生にちょっと教えてもらう。それぞれの技術の長所と短所を見極めてコラボレーションできるほどに修行の進んでいる人なら効果があるのだが、そうでないとたんなる器用貧乏に終わってしまう。

色んな先生の色んな技の掛け方を学べるのが少林寺拳法の特長でもあるが、自分のレベルを見極めておかないと技の修得に必要以上の時間を掛けてしまうことになる。拳の三訓として「守、破、離」を学習するが修行に生かさなくては意味がない。

では、この「真摯に学ぶ」と「自ら考える」割合はどのぐらいが好ましいのか、あるいはいつから姿勢を切り替えるべきなのか。これを一概に言うのはむずかしい。その人のいる段階によっても違うし、その人の性格によっても変わってくると思われる。

例えば初心者のうちは受身の部分が多くて当然となる。最初は「知る」ことが重要だからだ。何も知らないのだから先生や先輩のやっていることをまず真似てみる。つまらぬ疑問など挟んではいけない。

やがてある程度の知識が身についたら、その知識を生かして知恵にすることが次の課題となる。知識を生かすためには受身の姿勢では無理だ。能動的に考えたり、試すことが必要となる。うまく知識が生かされたとき心から「分かった」という実感が持てる。変な話だが分かる直前には知的高揚感が伴うようだ。

また、我の強い人は常に周りの言うことに耳を傾けるよう注意すべきだし、謙虚過ぎる方は思い切って自立することを考えるべきだろう。ただ、どちらのタイプも往々にして自分は標準だと思っているのがやっかいなところだ。自分に対する他人の接し方に注意して自分のタイプを見極めるべきだろう。

頭も身体もバランスが肝心ということだ。