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■ 攻撃線を考える (明竜)
章へジャンプ→ 基本間合|カベの正体カベは本当にカベか?補足説明

デジコミに書き込んだ「攻撃線」に関する考えをまとめ直して掲載しました。

■ 基本間合

乱取りをしたことがある人ならある間合いまで相手に接近したとき圧迫感を感じたことがあると思います。人によりそれを「カベ」と呼んでみたり、「気が出ている」とか「相手の間合いに入る」などと様々な表現をしているようですが、どれも同じものと見てよいでしょう。また、他の格闘技の試合を見ても打ち合いになる前はフットワークで一定の間合いを保っており、ちょっとしたきっかけで間合いが詰まって乱打が始まります。ここから推察するとこのカベは少林寺に限ったことではないようです。また、柔道でも投げを仕掛ける前に一定の間合い(打突系格闘技よりはるかに近距離ですが)を保つ瞬間があるので、カベは何も打突系格闘技だけに存在するものではなさそうです。

いずれにしてもその特徴は、ある間合いに入ると徐々にではなく瞬間的に圧迫感を感じることであり、圧迫を感じる間合いの内側に入ったとたん攻防が始まることではないでしょうか。 そしてクセ者なのがこの「ある間合い」が一定でないこと・・・でも、これって教範で言う「拳法に行うために必要」な「どれだけの距離と規定することは出来ない」基本間合いの性質にそっくりではないでしょうか。

反面、圧迫を感じる間合いの中に入ってしまったら、時として台風の目のようにが静かだったことも、皆さんご経験があるのではないでしょうか。「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名な葉隠れの言葉「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の上の句は、確か「切り結ぶ刃の下こそ地獄なれ」だったと記憶しています。するとこの詩も基本間合いを詠んだものかも知れません。

話がそれましたが、このように正対で拳を突きだしそこから一歩引いて構えた距離ではなく、あのカベこそが本来の基本間合いではないかと勝手に思っています(実際古参の先生方は最近の演武は遠すぎると言われているようです)。

■ カベの正体

カベ=圧迫を感じる間合いに立つと、相手は小さく踏み込んで当て身を繰り出してきます。一足入れて一拳を出してきます。「一足一拳の間合い」命名の由来ではないでしょうか。

そしてちょっと乱捕り経験のある人ならすべての人が意識せずともあの圧迫を感じるわけで、敢えて間合いを目測で測ったり、相手の身長やリーチから割り出す必要もないでしょう。しかし圧迫感をもとに一足一拳の間合いを正確に捉えるためには無意識に感じている圧迫感を意識的にとらえ直す必要があり、そのためには自分の五感に対して鋭敏でなくてはならず、よけいな事を考えたり何かを狙うことは出来なくなります。この作業は座禅に似てます。また、邪念が入って間合いが数センチ狂ったとたん相手にロック・オンされ当て身が飛んできますので動禅のほうが座禅よりシビアであるという説も分かるような気がします。

それでは、あのカベの正体は一体なんでしょう。かつて月刊少林寺で「科学とは再現性があること」みたいなことが書いてありました。このカベは多くの方が経験しているので再現性があると見て良いでしょう。再現性があるなら科学出来る。因果関係を明確に出来るはずです。挑戦してみましょう。

たまに「気の力」とか「オーラ」とか言う方もいらっしゃいますが、そもそも「気の力」や「オーラ」自体が明確に定義できないので、一般的な言葉で考えることにしてみましょうか。

教範に「心・気・力の一致」とあります。 以前ある先生とトンカツを食べていて聞かれたことがあります。
「明竜、心・気・力の一致とは、どういう意味か分かるか。」
「心が平静で、気力が充実して、体調が万全なら本領発揮できるという意味ではないのですか。」
「そのままやんか。アホ、もっと深い意味があるんじゃ。これは人間の行動を分解したもんじゃ。たとえば机の上のソースをとってみい。」
私がお尻をずらしてソースを手に持つと
「今、お前はソースを取ろうと意図し、テーブルの上に見つけたけれど、ちょっと遠いので体の位置を変え、それから手を伸ばした。意図を持ち、間合いの条件をととのえ、実際に手をだした。心・気・力とは『意図』『スイッチ』『極め』や。」

相手が「叩いたろ」と攻撃の意図を持って間合いと角度を調整すると、次に当て身のためのステップをします。ステップに入る直前の微妙な重心の動きを捉えて、こちらは危険だと感じます。これが圧迫感の原因=カベではないかと思います。

相手から出ているものは、「気の力」でも「オーラ」でもなく「危険のサイン」だったと思われます。そしてサインは視覚と聴覚から、柔道や柔法などでは触覚も使って感知しているようです。誰もが感じる圧迫感ですが、試しに耳栓と目隠しをさせたら、誰も感じることは出来なくなるでしょう。

剛法乱捕りにおいて感じるカベの正体は、相手が攻撃動作に移る瞬間に出る重心移動の兆候など微妙なサインではないかと思います。カベにぶつかった状態とは簡単に言えば罠のスイッチに触れた状態ではないでしょうか。

■ カベは本当にカベか?

基本間合いで圧迫を感じると前に出づらくなります。乱取りをやったことのある人なら分かると思うのですが、これはセンチ単位もしくはミリ単位というデリケートなもので、その感覚は文字通りカベにぶつかった感じです。でも不思議なことにフェイントの突きも出せるしローキックも出せるので手足にはカベが影響していないようです。実はカベを感じるのは顔と胴体だけというケースが多いようです。そう考えるとこの状況はカベにぶつかっていると言うより、攻者から丸太ん棒のような太いつっかえ棒が出ていて、守者の頭と胴がそれにつっかえていると言ったほうが適当かと思います。

ここで攻者の気持ちになってみましょう。相手の頭とお腹とを同時に狙うことで出来きるでしょうか。因みに私の頭の中を覗いてみると、素早く切り替わりますが一時点ではどちらか一方しか狙えてません。ましてや強い当て身をしようとすればするほどターゲット・エリアは小さくなります。頭と胴体がつっかえている太い丸太ん棒は守者側の錯覚で、守者が焦りや恐怖や思いこみをなくせば、太い丸太ん棒は少し細めのつっかえ棒になるということです。そしてもともとカベはスイッチでしたから、つっかえ棒の先が本当のスイッチということになり、そこに頭や胴で触れなければ相手は当て身を出せないということです。このつっかえ棒は大変便利で扱い方によっては簡単に先の先もとれますし忘年会でやると笑いもとれます。

カベは実はつっかえ棒だというテーマでお話しさせていただきました。この「攻撃スイッチの役割をするつっかえ棒」はそのままの名前では格好悪かったので私に拳法を教えてくれたある先生は「攻撃線」と呼んでいました。

攻撃線が見えるようになれば流水蹴の流水が一体何を流水するのかも分るかもしれません。沖縄本部御殿手の達人上原清吉さんの秘密もわかるかもしれません。 また、昔何かの本で読んだのですが「相手が刀を振り下ろす前に白い光が降ってくる、その光を受けようとすると不思議なことに相手の刀を自然と受けている」という剣豪のエピソードに出てくる白い光の正体も分るかもしれませんし、よく話に出てくるヨボヨボの達人が血気盛んな若者に勝つ話もまんざら作り話ではないと思えてくるかもしれません・・・ちょっと暴走気味になってしまいました。

ネット上で技術のお話をするのは難しいですね。言いたいことが伝わったか、誤解されてないか・・・反対に書いてはいけないことまで書いてしまったのではないか・・・。でも、この数回で私の考える攻撃線とはなにか(What)それがどこに存在するのか(Where)についてお話しさせていただきました。攻撃線は攻者の意図と密接に関係しているので常に存在しているものではありません。するとWhenの観点からも研究できそうです。それらの条件を踏まえてどう処理するか(How)を考えれば技能は飛躍的に向上するのではないでしょうか。私の研究もまだまだ進行形です。縁と機会があれば同じ問題意識をもった皆さんと一緒に研究や検証をしてみたいものです。

■ 補足説明
今までの説明で次のような疑問が浮かんだ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
1.攻撃線は何本あるのか
2.すぐ違う場所に変わらないのか
3.具体的な処理方法は
1.攻撃線は何本あるのか
1本です。なぜなら一時点では一箇所しか狙うことが出来ないからです。右の逆突き狙いならその攻撃線が、右のアウト・ローならその攻撃線しか存在しません。それが、どれだけの距離と定義できない理由でもあります。また、竹刀とか六尺棒を持たせるとかなり長くなりますが、やっぱり攻撃線は一本です。
2.すぐ違う場所に変わらないのか
攻撃線を邪魔すると、他の攻撃線があらわれます。ですから攻者が狙いを変えないように、相手の意図を尊重する対応が求められます。これは組手主体でないと学べないし、攻者の意図を活かすからこそ守主攻従の技が成り立つし、人も活かして我も生かす自他共楽にもつながるのではないでしょうか。
3.具体的な処理方法は
3次元の空間はX軸、Y軸、Z軸の表わすことができます。これは上下、左右、前後と言い換えられます。私は攻撃線に対しては前後問題としてとらえます。その後相手の表裏どちらに入るかの左右問題があり、当て身を極める際には上下問題で考えます。