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■ 重油ボランティア活動報告 ('97 明竜)
章へジャンプ→ 仮設・天下一品救援隊|東尋坊は自殺の名所?ジレンマ細胞たちの連鎖反応おわりに

●97年の福井県沖重油流出事故での「天下一品道場」のボランティア活動報告です。
●「天下一品道場」とは日本大学の格闘技サークルです。メンバーの一人が大好きなラーメン屋さんより命名しました。

■ 仮設・天下一品救援隊

97年2月20日から22日の三日間、僕は数人の仲間と共に福井県沖の重油回収作業にボランティアとして参加してきた。

1月27日(月)
きっかけはいつも突然で、この日僕は婚約者(今の妻)から数枚のFAXをもらった。それは、ボランティア団体発信の福井県重油災害の協力要請だった。僕はこのFAXを支部道場に持っていき、その週の土曜日には支部の皆さんの協力のもと、段ボール数箱分の古タオルが現地の災害対策本部へと送られた。

1月30日(木)
再び婚約者から数枚のFAXが届いた。今回はインターネット上のボランティア募集の情報だった。しかも日本航空が羽田−小松間の航空チケットを無料提供するという情報が載っていた。僕は阪神大震災の時に勢いだけで現地でのボランティア活動に参加して、お金で買えない貴重な体験をした実感があり、しかも交通費がかなり補助されるとなれば、「行く行かないは本人の意思に任せるとして、比較的時間の都合がつけやすい大学生に伝えるべき。」と思い、大学の後輩であるケースケこと井上K介君に早速電話を掛けてみた。

彼は僕の後輩滝口拳士が日本大学に創った格闘技サークル「天下一品道場」の部長で、僕も一緒にキャンプに行ったり試合に出たこともあった。一浪一留、髭が濃く、海外一人旅も経験している強者で得意技は右フック、経歴だけ聞くとかなり危ない男だが根は真面目で優しいナイスガイだ。
「興味あったんですよ。サークルの他の皆にも連絡してみます。」と気持ちよく言う彼に、僕も「俺も都合がつけば一緒に行くよ。」などと、また勢いだけで言ってしまっていた。

2月20日(木)
4時半起床。太陽なんか当然昇ってない。僕の安アパートは大変寒い。熱めのシャワーを頭から浴びて無理矢理目を覚ます。
5時半、出発。7時に羽田空港のロビーでケースケ以下他の参加メンバーと待ち合わせ。この時点で僕は誰が参加するかを知らなかった。羽田に向かうモノレールの中で朝焼けを見た。

僕が待ち合わせの場所に着くと、すでに天下一品道場の一年生柏葉M之君が来ていた。全身黒ずくめの彼はまるでこれから敵地に向かう兵隊のようでもあり、明日の天下一品道場を背負って立つ凛々しさすら感じさせるものがあった。僕はその姿を見たとき「次期部長は彼をおいて他にはいない。」と確信したが、後で聞いたところケースケの後輩は彼一人しかいないそうだ。

やがて、待ち合わせに遅れること10分、ケースケとその友人2名が現れた。追試のために遅れて参加するトックンを含め、この4人は昨年夏の語学留学の時に知り合い、以来「水魚の交わり」を続けている。
一人が「よろしくお願いしまあす。」と元気良く言った。彼はロック研究会所属でさだまさしのファン、大学生特有の活きの良さを感じさせる村井君。もう一人は滋賀県出身の女性で、色白の梅宮アンナといった感じの脇坂E里子さん。全員集合したので僕らは意気揚々と搭乗手続きを行った。

一時間のフライトの後、晴天の小松空港に降り立ち「何だ、思ったほど寒くないな。」などと小生意気なことを言いながら僕等はJR小松駅への連絡バスに乗った。小松駅についた頃には僕のお腹はグーと言ったが、一時間に2本しかない列車がもうすぐ来るので我慢せざるを得なかった。

列車の窓から見る景色には所々雪などが見え「ああ、冬の北信越に来たんだな。」と感傷にふけっていると隣で天下一品のルーキー・カシワバがポケットゲームに夢中になっていた。

やがて芦原温泉駅に着いたときには時計の針は11時をまわっていた。僕らは駅前の食堂に入り、ちょっと早めの昼食をとった。「冷やしおろしそば」を食べたが、コシがあって美味しかったのを記憶している。ここから宿まで今度はバスに乗ることになる。満腹感の中うとうととバスに揺られるうちに宿泊先の旅館「えびす亭」があるバス停「宿」に着いた。

「宿」のバス停は海岸沿いにあり僕らは好奇心も手伝い早速浜辺に出てみた。噂で聞くように海岸に近寄るとペンキのような臭いがして、海は黒く、浜辺には黒い油の固まりが打ち上げられているということは全然なく、遠くの方にテントと合羽を着た人が数人いる程度だった。

三国町災害対策本部はここから少し離れたところにある。僕らは一旦宿にチェックインしてから対策本部に向かうことにした。平日の今日は宿泊客も少なく男性4人が大部屋に、女性一人が小部屋に泊まることになった。部屋と言っても、ふすま一枚で廊下と仕切られた昔ながらのものだった。僕ら「仮設・天下一品救援隊」は一服した後、トレーナーの上に合羽を着て、毛糸の帽子とゴム手袋にゴム長靴というお約束の格好で本部に向かうため再びバスに乗った。

■ 東尋坊は自殺の名所?

小松空港から「えびす亭」まで、乗り継ぎ待ちの時間も含め3時間ほど掛かったが、対策本部はここから更に20分程バスに揺られた所にある。バスは途中、自殺の名所でもある「東尋坊」を過ぎた後、海岸のよく見える開けたところを通った。この時は僕らの他の乗客も席から立ち上がり重油災害の爪痕を見ようとしていた。空は晴れてはいるものの冬の日本海は波が高く、飛沫がたつ海岸の岩は黒ずんで見えた。

ようやく、僕らは対策本部がある「三国海浜公園」のバス停に到着した。海岸へ降りていく道からはテレビニュースで何度か見た仮設道路が見えた。

テレビで見るより一回り大きく見えるその仮設道路の先にはナホトカ号の赤い船首部分が確かに海から突き出していた。気がつくと周りの岩場が恐ろしく黒ずんでいた。それは決して磯の黒さではなく、木造校舎の床のような黒さに近く明らかに重油によるものだった。そして、そのころから足下に回収作業の黒い残骸が目立ち始めた。

やがて、そこが本部と一目で分かる仮設テントの群が見えた。中央のテントに入り受付をする。僕らは「天下一品道場」の名前で団体受付をした。続いてボランティア保険の加入、そして活性炭入りマスクの配給を受けて、胸にはガムテープを張りそこに名前と血液型を記入した。

テントを出て辺りを見ると人ゴミの中にリーダーらしき数名がいる。早速作業指示を受けようと、そのうちの一人を捕まえる。
「作業は3時までなので今日はもう30分ぐらいしかないですよ。」
「えっ、そうなんですか。」
危険が伴う作業のため上がりが早いようだ。しかしせっかく来たのだし片づけ作業でもと言うと、回収作業から帰ってくる人の合羽を脱がす作業と彼等の長靴に付着した重油を落とす作業の指示が出た。村井君脇坂さん柏葉君が合羽脱がし係、僕とケースケが長靴拭き係(洗浄班)のサポートに入った。

僕らの作業を説明すると、まずお湯の入ったたらいに作業者が長靴で入りケースケが古タオルで重油を拭き取る、次に作業者はおがくずのは入っているたらいに移ってきて残っている重油を僕がおがくずで擦り落とす、といったものだった。文章で書くと簡単なようだがこれが結構辛い。まず、お湯で暖められた重油から揮発性のガスが出る、そして足場の悪いところでの中腰作業であっと言う間に腰が痛くなる。そういえば先程ちらりと見たが、洗浄班リーダーの合羽の背中には「呼吸器系に自信のある方」というガムテープが張ってあった。「あながちはったりでも無いな。」と思った。

3時を少しまわり、洗浄作業も一通り終わった。ドラム缶の焚き火を囲みながらタバコに火をつける。他のボランティア参加者と話をした。その人は今日「東尋坊」で岩拭きの作業をしたそうだ。東尋坊担当は本日3名、気が遠くなるような作業だったらしい。昼飯時には本部に帰れるかと思いきや、弁当が3つ届けられたそうだ。しかたなく自殺の名所で寂しく3人だけの食事をしたそうだ。そんな話を鼻水を垂らしながら彼は爽やかな笑顔でしていた。この頃には雪がちらつき出していた。赤十字の作った熱々の蕎麦を炊き出し班の女の子が持ってきた。大して作業もしてないしと一旦は断ったが強引に勧められ、みんなに混じって一杯貰う。涙が出るほど旨かった。

ナビさんという若いリーダーの人とも話をした。栃木から来た学生さんで、左の耳のピアスが印象的だった。
「かなり組織的に動いてるようですね。」と僕が言うと、班別リーダー制の採用やインターネットを使った情報発信をしているなどと教えてくれた。神戸大震災以来日本人のボランティアに関する関心は高まり研究も進んだようで、迅速かつ的確な対応ができるようになってきてるようだ。そうは言っても今回は天候の影響を大きく受ける。神戸の時とは違ったやっかいな問題だ。僕らも翌日から自然の力の大きさを思い知らされることになる。

やがてボランティアの送迎バスが出る時間となり「本番は明日からだと。」僕らもそのバスで宿に向かうことにした。しかしバスはもう満杯で乗れなかった。今回の災害ではトヨタと日産の地元ディーラーが試乗車を一台づつ貸し出してくれたそうだ。僕らは団体という強さも手伝って特別にその車で宿まで送って貰えることになった。

車両班所属の運転手のおじさんも助手の学生さんも地元の人では無かった。今回のボランティアの参加者は圧倒的に他県の人間の方が多かった。今度の災害は阪神大震災の時のように直接的に命に関わるものではなく、ボディ・ブローのようにじわりじわりと首を絞める傾向があるため、地元民の反応も神戸の時とは違うのではないかとは予想していたが、それがこういった形で現れたのだろうか。

宿の前で降ろしてもらった、僕らはお礼を言うと近くの酒屋へ行って夜の買い出しをした。「北陸づくり」という地域限定販売のビールと「一本義」という名の地酒を買った。

夕食は洋食一品の他、海の幸がどっさり。量質ともになかなか上等、気がつくと僕はご飯を3杯も食べていた。

食事を済ませて部屋でウダウダしていると、トックンこと徳山U子さんがようやく宿に到着した。トックンというからてっきり男の子だと思っていた僕は意表をつかれた。更に驚いたことには、よく見ると彼女の後ろには子分のような男の子が一人いる。明治大学1年の橋上K一郎だと自己紹介した、彼は着のみ着のままで来たらしく宿の手配もしておらず、トックンとは飛行機の中で一緒になったらしい。今晩は僕らと同室になった。

僕らの宿泊した「えびす亭」の向かいには「ゆあぽーと」という大きなクアハウスがあった。この近辺はボランティアの為に温泉の無料開放をしているのでK一郎を連れて僕らはタオル片手に出かけた。しかし「ゆあぽーと」は例外らしく、しっかり入浴料を取られた。それでも海に面した大浴場にはサウナもついており、気持ちよく汗を流すことが出来た。

この晩はちょっと変わったことがあった。
僕らの向かいの部屋に一人の女性が泊まっていたのだが、部屋の中から内鍵を掛け一歩も外へ出ず、時折「うふふふふふふ・・・」と力のない笑い声が聞こえて来た。夕方には、旦那が着いたと宿の人が呼びかけたが、相変わらず鍵を掛けたまま返事もしないという状況だった。結局旦那は彼女の隣の部屋に泊まることにしたようだ。僕等は東尋坊に自殺に来た奥さんと、原因を作ってしまった旦那がそれを止めに来たのではないかという推論に達したが、この推理が当たらないでほしいと思うことしかできなかった。翌日いつのまにか、その夫婦はどこかへ行ってしまった。その後どうなったか僕等は知らない。

ただK一郎が言うには、午前2時ぐらいに僕等の部屋のふすまを開けてその奥さんが部屋をのぞき込んでいたということだった。何をしようとしたのだろうか。因みにそのとき彼女の足もとに寝ていたのは僕だった。

■ ジレンマ

2月21日(金)
7時15分、朝食の案内で起こされる。窓の外は、昨日とうって変わって猛吹雪だった。これが冬の日本海なんだと改めて思い知らされる。

朝食を済ませ、7時50分ケースケが本部に電話を入れる。本日の回収作業は全面中止との返答を受ける。朝の決定はその日一日有効なので、本日は午後から天候が回復しても作業は一切無しだ。ケースケはそれでも「物資の整理等室内作業のお手伝いでも」と食い下がったが、「それは本部スタッフだけで行っているので」と敢えなく拒否された。

部屋に戻って僕らの意見が分かれた。
「行けばやることはあるだろうから、本部スタッフの活動している公民館にとにかく行こう。」という意見。そして、「本当に人手が足りないのなら要請があるはずだし、それを押し掛けるのは独りよがりなのではないか。」という言う意見。どちらが正しいのか分からなかったが僕等の出した結論は後者だった。ただしK一郎は例外だ、長期滞在を希望しているので彼には本部へ行くことを勧めた。彼はリーダーになるわけだから活動の全体を知っておく方が良いと思われたからだ。

拍子抜けした僕等はすることもなく午前中爆睡した。村井君が夜の飛行機で帰らなくてはならなかったので、昼過ぎ僕らは食事がてら彼を送ることにした。駅に向かう途中、魚屋で村井君は家族へのお土産として、その朝上がったばかりのイカを2杯買って帰った。村井家の今夜は塩辛とイカソーメンのご馳走になることだろう。

歩くこと数十分、ようやく駅前で一軒のラーメン屋を見つけた。ここのラーメンはめちゃめちゃあっさりしてるくせに結構イケていて僕は大満足だった。しかし、この外出で脇坂さんが風邪を悪化させてしまった。おまけにカシワバまで鼻をすすりだした。こいつはヤバイ、僕等は宿に向かった。

宿に着くと僕等の部屋にスリッパが1足おいてある。健一郎が帰ってきたのかと襖をあけると一人の男性が立っていて「三重から来た本田です。」といって頭をさげた。本田さんは社会人で、ボランティア休暇をとってきた。今回は2度目の参加で前回は日帰りだったそうだ。「大学生なのに、この時期スキーにも行かずにボランティアに来るなんて」と盛んに皆を誉めていた。僕は社会人なのに二度も参加した彼のほうがよっぽど偉いと思った。

今日はボランティアも大勢来て宿が一杯になるらしく女性二人に他の女性客と相部屋でお願いしたいとの依頼があった。知らない女性との相部屋はかえって気を使うからと結局今夜は脇坂さん徳山さんの二人は僕等の部屋で雑魚寝となった。

2月22日(土)
7時起床。今日が僕等の活動の最終日だ。外は相変わらずの吹雪、昨日よりひどくなっている気がする。朝食後ケースケが本部に電話をするが、なかなかつながらない。ようやくつながったが予想通り本日も作業は中止だった。
「帰るにしても寄付できるののもは寄付しよう。」ということで、とにかく荷物をまとめて本部に向かうことにした。

僕が部屋に入ろうとした時、向かいの部屋の襖が開いた。
「ボランティアの方ですか。」二人の女の子が立っていた。彼女たちは昨日の夜到着したそうだ、僕等の部屋に招き入れ情報交換した。一人は日本体育大学の学生、もう一人は友達の専門学校生だそうで、年代や住所が近かったこともあり、「仮設・天下一品救援隊」の学生達ともすぐ仲良くなったようだ。今日は作業中止だが、本部へ行きたいという希望もあり僕等と一緒に本部まで行くことになった。10時17分のバスに乗る。こちらの雪は積もると言うより吹き付けるという降り方をする。バスの中には僕等の他にもボランティア参加者らしき人が数名見えた。

作業中止にも関わらず、本部には多くのボランティア参加者がいた。僕等は今日帰ることを本部に告げ、物資の寄付を行った。リーダーの一人が炊き出しは今日もやっているので是非食べて帰ってくれと勧めるので、自慢のメニュー「ちゃんこ」を食べた。このちゃんこも昨日の蕎麦に匹敵するぐらい旨かった。聞くところによると、何とかという相撲の親方が来て作っていったそうだ。よく見ると髷を結った相撲取りが二人ほど薄着で突っ立っていた。

天候は悪く、雪が横から殴りつけてくる。海上も時化ており波の高さは6メートルぐらいあるのではないか。ナホトカ号の船首部分が簡単に波に覆われてしまう程だった。重油の抜き取り作業は終わったとはいえ、やはりナホトカ号の周りの波頭は黄色かった。そんな光景をじっと見ていると坂道を人の集団が下りてくる。元厚生大臣の菅直人が視察に来たようだ。カメラマンをぞろぞろと引き連れてちょっと本部テントに入ったかと思ったら、今度はちゃんこを食べてそのまま帰ってしまった。おいおいおっさん、何しに来たんや。他に出来ることあるやろ。

本部の敷地内はかなりぬかっている。そして隅の方にはヒシャクやらバケツやらが山のように積まれてあった。そのどれもこれもが真っ黒で強烈な臭いを放っていた。その向こうを歩いてくる本部スタッフに見慣れた人影を見つけた。
「K太郎、K一郎、K四郎。」よく覚えていなかったので、それらしい名前を全部言ってみた。振り返った彼は一昨日同室だったK一郎だった。すっかりスタッフ姿も板に付いていた。僕等はしばらくK一郎と話をしたあと激励の言葉を贈って別れた。

本部前の崖下にあるテトラポットにはまだまだ重油がベッタリとついており、この海が元に戻るのにどれだけ時間が掛かるのか僕には想像もつかなかった。色々な思いを胸に僕等は帰路に着くことにした。

■ 細胞たちの連鎖反応

小松空港に着いたがまだ2時過ぎだ。フライトは夜7時50分なので時間がありすぎる。しかし脇坂さんの風邪が悪化して辛そうだ。白い顔が一層白く見える。日本航空のカウンターに事情を話したら彼女のために応接室を貸しくれた。ついでに僕等の荷物も置かせて貰う。ロッカー代が浮いた。

空港の周りには飛行機博物館があるだけなので僕等は時間をもてあましてしまった。空港ロビーにインターネット端末がありケースケがはまっていた。インターネットで長いこと遊んだが、それでも時間はまだまだ腐るほどあった。お茶でも飲もうかということになったが、空港内のレストランはどこも高い。結局ケースケを始めカシワバ、トックンと僕の4人は、お土産の寿司とお酒を買い込みロビーで酒盛りをはじめた。

しばらくすると皆大分いい気分になってきた。横を通った二人組の外人さんにトックンが手を振っている。「おいおい」と思っていると、彼らもボランティア参加者でトックンとは来るときの飛行機で一緒だったそうだ。気さくな彼らは横に座って僕等の話に加わってきた。

自慢ではないが僕は英語が得意ではない。あまり早く話されると何を言っているのかさっぱり分からない。語学留学経験者のケースケとトックンはさすがで、彼等を媒体として僕等は大いに盛り上がった。

結局彼等も3日間待機ばかりで何もできなかったそうだ。
「無駄だったと言ってます。」ケースケが通訳してくれた。僕はケースケ経由で彼に言った。「俺達は無駄ではなかったと思う。ビコーズ俺達は細胞の一つみたいな物だと思うから。」
彼はうれしそうな顔で何か言ってた。僕の拙い英語力でも「ミー・トゥー」と「セイム・スピリット」だけは聞き取れた。彼等と意気投合したミスター・ケースケは今度一緒に飲みに行くことを約束した。連絡先を交換しようとすると相手は名刺をケースケに渡した。そこにはスイス・ユニオン銀行 在日本部 副社長補佐 ルドルFと書いてあった。

スイス銀行のサラブレッドが仲間を引き連れて他国の災害復旧に会社を休んでまで参加したことに僕等は感動した。酔いも手伝って、僕は「あなたは偉い。そう、俺達は日本人ではなくて地球人なんだ。」なとどブチかましていたようだ。

やがて搭乗手続きが始まった、脇坂さんの具合が悪いということもあって一般搭乗より早めに乗り込むことが出来た。脇坂さんありがとう。君のおかげでちょっとVIPの気分を味わうことができました。

浜松町に向かうモノレールの中で僕は今回のボランティア活動を振り返っていた。阪神大震災の時にも地味な作業は経験済みだったが、今回は旅館待機ばかりと更に地味な活動内容となった。「皆のために、汗水垂らすのがボランティア。」と思い、意気込んで行った割には何も出来ず、かと言って数時間前にルドルFに言った「俺達は細胞の一つ」というのも決して負け惜しみから出た言葉でもなかった。そんなことがどうも頭の中に引っかかっていたようだ。

1週間滞在しても活動が出来るのは平均二日程度だったと本部スタッフが言っていた。だからといって待機しているボランティアがいなかったら、たとえ天候が回復してもすぐ作業できる人間がいなくなってしまう。そこまで考えて結局僕等は白血球みたいな存在だということに気がついた。そして、僕にFAXをくれた婚約者の小さな行動が火種となって「天下一品救援隊」という連鎖反応が起きたことも興味深く思えた。一緒に行った他の仲間も色々と思うところがあったようだ。心なしか、いい面構えに見える。明日の天下一品道場もきっと安泰だろう。

■ おわりに

長々と書いてきましたが、今回も皆様の協力でまた貴重な体験をさせていただくことができました。中でもこの忙しい最中に快くボランティア休暇を承認してくださった私の会社の上司であります日本IBM 嶋田担当には深く感謝しております。

残念ながら、先に帰った村井君のコメントはありませんが、最後に帰りのモノレールの中で書いて貰った仲間の感想を転記し締めの言葉と換えさせて頂きます。

<脇坂E里子>
ボランティア活動は初日しか出来ませんでしたが、現地に行って地元の人やボランティアの人の生の声が聞けただけでもとてもよかったと思います。現地に来れなかった人に自分の目で見て感じたことを伝えたいと思います。風邪には十分注意。山下さんや柏葉君に出会えて良かったです。ご迷惑をかけました。

<徳山U子>
初めての体験で、はりきって現地へ行ったけど、天候不良でお役に立てなかったのが残念です。しかし、そこで出会った方々の温かい心との出会いだけでも、ボランティアに参加して良かったと思います。実際に現地へ行くのと行かないのとでは、感じるものが違うと思います。多くの人にボランティアの声を掛け、一人の人間としていっしょに地球を守っていけたらと思いました。ありがとうございます。

<井上K介>
普通一般的にイメージする「ボランティア活動」は何もできず、一見肩すかしを喰らった気もしたが、逆にかえってボランティアというものを見直すことができた。それは、ボランティアとは多くの見えない部分の支えがあって成り立っているということだった。もう一度ボランティアについて考えることが出来たという意味で視野が広がり、良かった。

<柏葉M之>
「何もできなかった」今回の活動内容を人に話せばこう言われるだろう。期間中、自分自身もこの思いにかられ鬱憤がたまった。しかし、全体の底辺にある僕らがいなければ、こまい作業は不完全になるだろう。今回実働作業はできずに終わったが、このやるせなさを大切に人に語ってみたい。底辺の存在や価値について考える機会に巡り会えて本当に良かったと思う。