技術、練習方法、教えの実践・・・ 少林寺拳法に関する研究発表の場
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■ 四段昇格考試の学科試験 (MA)
章へジャンプ→ 金剛禅の教えについて少林寺拳法が単なる武道やスポーツでない所以について

MAさんが2000年に受験するにあたり事前にまとめた回答例です。

■ 金剛禅の教えについて

金剛禅は、釈尊の正統仏教の教えに従い、生きている人間が拳禅一如の修行をつみ、不屈の精神力と金剛身を養成し、まず己をよりどころとするに足る自己を確立し、そして他人のために役立つ人間になろうという、身心一如・自他共楽の新しい道です。さらに物心両面の正しい生活を、人間の英智の活用による無限の富の開発と、善意に立脚した人間同志の拝み合い援け合いにより確立し、現世に平和で豊かな理想境を建設しようという教えです。

その信仰の中心は、大宇宙の大霊力たるダーマです。ダーマは、時間と空間を超越して存在する大引力であり、すべての生物を生成化育する大生命力であり、因果応報の道理を司る大霊力です。つまり、見ることはできないが存在は認識できる、宇宙の根本実相なのです。「ダーマ」という語はサンスクリット語のDhammaであり、語義は一般に「法」と訳されています。インドの古い文献によれば「法則」「真理」「全宇宙を統一する力」「正義」などの意味を持つ最高、最貴の語として用いられています。人間はこのダーマの分霊を持って生まれてきたことを認識し、育つ可能性を有する種子と理解してこれを育て、開花結実させるために修行努力しなければなりません。

その修行方法は、肉体を苦しめて悟ったり、読経や祈祷や儀式をすれば救われるという教えではありません。あくまでも自己の修養を第一とし、単に救いを待つのではなく、人事を尽くして天命を待つという心境で積極的に修行に励むものです。

金剛禅では偶像崇拝も祈祷も必要としていません。人間生活を確立するために一人一人がダーマの分霊を持つ万物の霊長であることを自覚して、すべての人が「ダルマ」になることを目標に努力し修行すれば、いつか必ず現世に平和で豊かな理想の楽土を建設できると信じ、同志と共に自他共楽の金剛禅運動を展開しているのです。

開祖は「天国や極楽はあの世にあるものではなく、この世につくるべきものである。それは、神仏がつくるものではなく、人間が協力してつくり出さなければならないものである。人間の心の改造と平和的な手段によって地上天国を実現させようとしているのが、金剛禅の主張であり、願いなのである」といっています。

真に平和で豊かな世界を実現させることができるのは、今を生きている私たちなのであり、まず周りに良い影響を与えられる、真に拠り所とするに足る自己を確立し、半ばは自己の半ばは他人の幸せを考えて行動していくことが、私たちが金剛禅運動を実践していくということなのです。

■ 少林寺拳法が単なる武道やスポーツでない所以について

少林寺拳法は、開祖宗道臣が敗戦時の体験から「人、人、人、すべては人の質にある」と悟り帰国後、志のある青少年を集め、勇気と自信と行動力を養わせて、祖国復興に役立つ人間を育成しようと開創されたものです。

よって少林寺拳法が単なる武道やスポーツでない所以は、そのスタート地点にあります。一般のスポーツや武道は、民衆の娯楽や戦いの勝敗を競うことから発生しました。その目的は単に勝敗を競い、チャンピオンを育てることがほとんどです。対して、少林寺拳法は社会に役立つ人間を育て、人づくりによる平和な社会を実現することが目的です。

つまり、少林寺拳法は単なる格闘の技術を学ぶものではなく、健全な肉体と精神を養うための行としての拳なのです。拳を修行することにより不屈の精神を養い、相手を尊ぶ心を養う、自己確立、自他共楽の宗門の行なのです。行動の伴った社会に役立つ人間をつくるための一つに方法として拳法の修行があり、よって少林寺拳法という枠の中にとらわれず、そこで学んだことを生活の中で半ばは自己の幸せを半ばは他人の幸せを考えて実践していかなければ意味をなしません。組織としても、開祖デーなどのように地域と密着した道場づくりを進め、社会に役立つ団体としての活動を行っています。

また、少林寺拳法は自分が上手くなるためには相手も上手くなってもらわなければならず、いかに信頼し合える仲間を作っていくかが上達のポイントとなります。よく「合掌礼一つで友達になれる」と言われますが、強さや技を競うのではなく、段位や年齢を超えてお互いの上達を助け合うという技術修練は、少林寺拳法の大きな特徴でしょう。こういったところも、少林寺拳法を老若男女問わず多くの人が楽しんで行える、他の武道やスポーツと異なるところであるといえます。