技術、練習方法、教えの実践・・・ 少林寺拳法に関する研究発表の場
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■ 武専修了論文 テーマ:私にとって少林寺拳法とは道楽である (明竜)
章へジャンプ→ 少林寺拳法は道楽か?|入門の動機第三の波押し寄せる波の中で少林寺拳法は道楽である
■ 第一章 少林寺拳法は道楽か?

以前、ある高段者の方から「開祖が『少林寺拳法は道楽である』と言っていた」という話を聞いたことがある。当時その言葉に大きな違和感を覚えた。なぜなら私の中の少林寺拳法はいわゆる武道であり、長期間にわたるストイックな修行の成果として「実力」を身に付けるスポーツのような側面があると信じていたからだ。

それが道楽と言われると随分と気楽ないい加減なものがイメージされる。開祖の言葉でなかったら黙殺していただろう。しかしいくら開祖の言葉でも、すんなりと納得できるものではなかった。(本当にそれでいいのか、少林寺拳法は厳しい武道ではないのか)と私は自問自答し続けた。

■ 第二章 入門の動機

私の入門はもう二十年も前のことになる。中学の卒業式の前夜、同じ町内にあった道院の門を叩いた。当時は「つっぱり」という言葉が流行っていて教育現場が荒れていた時代だった。そんな時代だから入門の動機はいたって単純、「喧嘩に強くなりたい」しかなかった。

しかしおかしなもので修行を進めていくうちに、むやみやたらと喧嘩をしなくなった。少林寺拳法の技自体は大変興味深く今でも飽きることはないが、単なる腕比べ以外の部分に興味が移ったということだろうか。

たとえば、高校の部活や大学のサークルで自分がどう動けば人が集まり、周りの人が協力してくれるのか。人の信頼を勝ち得るためには普段からどういう行動を心がければよいのか。そういった生活や人生のあらゆる場面をゲームと見立てると、そのゲームを有利に進めていくためのヒントを少林寺拳法の修行を通して学ぶことができた。素手の格闘法は奥が深く興味は尽きないが、それと同時に拳技の中に潜んでいる様々な教えや原理原則を日常生活に応用することで充実した結果を手に入れることが出来ることに気がついたことが理由かもしれない。

■ 第三章 第三の波

さて、今から三十年前に米国経済学者のアルビン・トフラーが「第三の波」という本を出版して話題となった。人類は長い農耕社会の次に産業革命で工業化社会に突入する。農耕社会を最初のトレンド=波というなら工業化社会は第二の波だった。また、トフラーの理論では、この農耕社会と工業化社会は必ずしも段階的発展をするものではなく「不連続な変革」によって工業社会が台頭してくるのだという。

そしてもちろん工業化社会になったからといって農業が無くなるわけではない。しかしこの工業化社会が文明の進歩のスピードを高め、二度にわたる世界大戦や著しい技術の発展など人々の生活に大きな影響を及ぼしたことは歴史の教科書を見るまでもなく明らかなことだ。

だが、アルビン・トフラーの理論はそれで終わらない。トフラーによれば工業化社会の後にデジタル情報革命で「情報化社会」が来るのだという。この情報化社会こそがトフラーの言う「第三の波」なのだ。


くしくも日本政府がeジャパン戦略を打ち立て久しいが、おかげで光ファイバーやADSLなどの超高速通信ネットワーク(=ブロードバンド)が多くの家庭に普及し、企業においてはほぼ100%と言ってよいほどの普及率を示している。また携帯電話は「ケータイ」と呼ばれ、単に電話をかける道具を超え、eメールを送受信し、カメラ機能を搭載するに留まらず、最近では財布代わりやチケット、あるいは電子鍵としても使われるモバイル端末と化している。

これはITやブロードバンドがごく普通に人々の生活に利用される時代になってきたということを象徴しており、好むと好まざるとに関わらず、我々の身の回りにトフラーの予言どおり第三の波が押し寄せてきているということである。

■ 第四章 押し寄せる波の中で


変化に直面した時、人の行動はいくつかに分かれると言われている。ひとつは、変化を認めようとせず目をそむける人。そして変化の予兆を捉え必死に泳ぎ方を考える人。もしかしたら私は後者かもしれない。

現在私はIT業界のビジネスマンであり、仕事はお客様エグゼクティブ専門の研修機関でインストラクターとして今後ITがどのように経営に使われていくのかといったような経営者の立場からみた最新のIT活用を啓蒙している。そして個人的な欲求を言えば私の講義を受けた全てのお客様を勝ち組にしたいと思っている。

しかし毎年数百人の企業経営者に会い、ITの活用法や可能性を中心に講義をしつつも私の話が勝つことだけにこだわる無味乾燥なドライなものにならないのは、根底には少林寺拳法で培った実践主義と共存共栄の考え方が根付いているからかもしれない。


現在のIT業界は仕事も忙しく、知的労働と肉体労働の両方の過酷さをもっている。実際最近の調査では五人に一人はうつ病という統計結果が発表されているほどだ。

さて、そんな会社内に昨年九月に少林寺拳法部を設立した。長引く不況の中、企業クラブ縮小の動きは何処の会社にもあること、ごたぶんにもれず弊社でも同好会設立は並大抵のことではなかった。それでも社内の上層部に一人二人と理解者を増やしていき、設立に漕ぎ着けることができた。

■ 第五章 少林寺拳法は道楽である

仕事が終わって一息つく頃、あるいは残業に入る前の気分転換のタイミングに練習時間をセットしたことが功を奏したのか、現在では十数名の部員が集まって汗を流している。

弊社の場合、世界屈指のIT企業でもあり、とくに精神衛生面でのケアが必要な環境にある。よって週に一度でも仕事を忘れて自分を確認できる場があるということは社員個々人のメンタルヘルス面から考えても大きなプラスだろう。そうした意味から会社活性化にも大きく貢献していると言えるだろう。

また、いざ活動をしてみると仕事の組織とは別のネットワークが社内に出来ていくことを発見した。数十年後に少林寺拳法のOBが会社のいたるところにいたりすると仕事もやり易くなるのではと思われる。

少林寺拳法部に人が集まるようにするためには、部長としてまず自分自身が心から楽しむことが前提となる。私はどちらかと言えば先生らしくない先生かもしれないが、それでいいと思っている。混沌とした現代には指導者よりも実践者が必要だと思うからだ。私自身も決して楽ではないが、どうせ長く生きても数十年だから、息を詰めて走り抜けるような時期もあってよいのではないだろうか。忙しかろうが、寝てなかろうが、損得抜きに動けるからこそ部の運営も楽しいし、いい人材が集まってくる。

入門から二十数年。開祖が「少林寺拳法は道楽である」といった真意が、体験を通して理解できたように思う。